音楽配信の二項対立

ブロガーたちがわがままな消費者の希望と現実とを取り違え、音楽産業を衰退の道から救うために、などといって米国の音楽配信事業をモデルとした提言を繰り返すのは何故でしょうか?

http://nikki.g.hatena.ne.jp/hkt_o/20050201
http://www.hatena.ne.jp/1107247462

まず文章が意味不明瞭なので解体しますと

  1. 着うたの販売モデルは高価格低自由度である。
  2. 米国の音楽配信事業モデルは低価格高自由度である。
  3. CDは高価格低自由度である(という話をしたいんだよね?)
  4. 着うたは(1)にもかかわらず、(2)を代表するiTMSよりも人気がある(資料より)。
  5. (3)の市場規模から考えれば(2)の経済効果など微々たる物である(資料より)。
  6. (4)(5)により、米国の音楽配信事業モデルは音楽産業衰退回避に役立たない。
  7. (2)のモデルを採用することで消費者も音楽事業者も幸せになれるという説がある。
  8. (7)はわがままな消費者にとって希望である。
  9. 「ブロガー」は(8)で語られる希望が現実のものだと考えている。
  10. 「ブロガー」は(9)により、米国の音楽配信事業をモデルとすることが、音楽産業の衰退回避の道だと提言している
  11. (10)は(6)により誤りである。なぜ「ブロガー」はその誤りを正さないのか?

となります。

通り一遍の回答

(1-10)が正しければ、(11)に出てくる回答は「誤りに気付いていないから」「誤りに気付いているが目先の消費者利益を優先したいから」「扇動により非論理的な状態にあるから」の3択です。
しかし話の流れからすると、この(11)の質問単独にはあまり意味を感じません。むしろ「気付けよ馬鹿」的な他人を見下した印象ばかりを受けますので質問の文章にはもう少し工夫していただきたいところです。

検証してみよう

さて本題ですが、この問(11)が成立するためには、(1-10)が正しく成立する必要があります。
(1-3,7-10)はとりあえず前提としてかまわないように思えます。めんどくさいので「ブロガー」は(8,9)を肯定する狭い定義のものとしておきます。
(4-5)はご提示のありました資料では判然としませんので保留ですが、とりあえず正しいものと仮定して議論を進めます。

問題は(6)です。この質問がそもそも煽りを目的としたものでなければ、問題は結局ここに集約されます。

ここは大いに議論の余地があると思えます。その根拠のひとつである(4)は「高価格低自由度」であるにもかかわらず着うたは「低価格高自由度」なiTMS以上に人気が出ているという点です。

なぜ「着うた」はそんなにうまくいっているのか

ここには2つの理由が考えられます。

「着うた」のいいところ

第一に、消費者は安く楽なもののほうへ流れますから、その逆である着うたに人気が集まることは『高付加価値だから』という理由で説明するほかありません。『高価格低自由度だから着うたを選ぶ』わけではないのは明らかです。そんな奴がいたら変態です。ここで言う『付加価値』とは、

  • A)アクセサリとして機能する
  • B)普段持ち歩いている機器で利用できる
  • C)購入から利用までの手間がかからない、使い捨て気分で管理が楽
  • D)1曲単位で購入できるので値ごろ感がある

の4点に代表されるものでしょう。
さらに要約するなら(A)と(B)は同じ理由です。

  • A+B)希望する機器で希望する方法の利用が可能である

さて、ここで論理展開上興味深い事態となりました。「自由度が低い」のが着うたの特徴であったにもかかわらず、(A+B)だけ読むとまるで「自由度が高い」かのようではありませんか

この矛盾が生じる理由は、「自由度」という言葉に意図せぬ前提が紛れ込んでいたためです。「手元で自由にコピーできるのが自由度だ」「いろんな機器で使えるのが自由度だ」「パソコンで編集したりCDに焼いたりできるのが自由度だ」…。
さまざまな「自由度」があります。「自由度」とは単一の価値パラメータではなく、その都度優先度が異なるさまざまなパラメータをひっくるめた言葉なのです。つまり、消費者は「着うた」として使うために必要な自由度に対価を支払っているのです。これが高価格であるにもかかわらず着うたが好調な理由のひとつです。

「着うた」のあやしいところ

第二の理由は、着うたが不当に高価格を維持している疑いのあることです。
経済原則に考えを戻しますと、市場原理に従うものであれば販売価格を高く維持して少量を販売するも安く設定して多売するも、いずれも商業戦略上みとめられた自由です。しかし、競争がなければ商品の品質が低下し産業自体が衰退することは過去の歴史が物語っています。独占状態の市場を構築することが「音楽産業衰退回避」であるなどという考え方は受け入れられません。
着うたはその高付加価値によって、高い販売価格であるにもかかわらず売り上げを伸ばしています。しかしそこには充分な競争があるとはいいがたいものがあります。
囲い込まれたハードウェアと囲い込まれた販売網に1社限定の配信では、多少高くても売り上げが伸びるのはありうることでしょう。
半年前、着うた参入妨害の件で公正取引委員会強制捜査がありました。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0408/26/news019.html
今後は着うた業界も価格競争によって単価を下げざるを得なくなるでしょう。

軽くまとめ

さて、着うたの現状はここまでで述べたとおりです。ここまででポイントとなるのは、
・高付加価値であれば客は買う
・不当な囲い込みは是正されねばならない
の2点となります。

「着うた」の限界

「着うた」に不利な将来像

では将来はどうでしょう。もちろん「着うた」が音楽消費形態のなかでシェアを伸ばしてゆくのであれば、高付加価値の商品を高コストで販売し続けるという希望を持つこともできるでしょう。しかし、「着うた」の付加価値モデルは「着うた」という限定された利用シーンを前提としているからこそ成立しているものであって、これは音楽消費全体の中で見ればレアケースです。
特に問題となるのは楽曲大量消費のケースです。ガンガン流すための利用楽曲は自然と増加しますから、たちまち数十曲、数百曲となります。着うた機器はそんな大量の楽曲を扱えません。

もちろんHDDプレーヤー内蔵着うたケータイなんてのが登場すれば、多量の楽曲も問題ないかのように思えます。しかし逆に、HDDプレーヤー側がケータイを内蔵してはいけないという理由もありません。何らかの無線インフラを利用してiTMSに直接接続できるHDDプレーヤなんてのが登場することもありうるわけです。

技術の進歩を前提としてよいのなら、iTMSを利用することと着うたを利用することの間の本質的な違いはなくなるでしょう。着うたの付加価値として列挙したうちの(A)の理由は大量消費の時点で薄まり、(C)(D)の理由は消滅するわけです。そうなれば(B)だけを理由とした競争にさらされるわけで、着うたも高コストを維持し続けることが難しくなります。

音楽配信の将来像を語る上で「着うた」への言及が少ないのは、まあ知らないというのもあるでしょうが、現在の着うたによる利益モデルが主流になりえないということが最大の理由ではないかと思います。「着うた」を「着うた」たらしめているのはそれがレアケースだからで、もし主流になればそれは既に現在の「着うた」の利益モデルを維持できないのです。

「着うた」に有利な将来像

もちろんこれに反するケースを想像することもできます。ひとつは、「厳選された音楽を少量消費」というスタイルが一般化する場合です。この場合コスト圧力は小さくなりますから、高コストモデルを維持することが出来ます。しかしそれが音楽産業の発展に繋がるかといわれると甚だ疑問です。
もうひとつは激しい価格競争が発生しないよう、国内の音楽流通を規制することです。ほかの選択肢がすべて高コストなら、着うたの高コストも当然に受け入れられるでしょう。

話戻って

ではそろそろ主題に戻りましょう。
「高価格低自由度(?)」の着うたモデルの成功を考えれば、「低価格高自由度」の米国モデルは音楽産業衰退対策として効果がないかどうか?
現在の「着うた」モデルが将来成功し、ついでに音楽が衰退しないためには、ユーザを囲い込んで高コスト状態に維持する以外ないことはここまでで述べました。そしてそーゆー独占状態の市場に健全性はありません。健全性の無い業界の未来は暗いです。

結局問題はここに帰結するのです。「音楽業界に競争は必要か?」必要ならば、(6)は成立せず、最初の質問(11)自体が成立しません。必要なければ、おそらく「ブロガー」は競争が必要だという希望と現実を取り違えているのでしょう。